ピュアさ100%の憑依
憑依ね、
私、草彅剛さんが憑依型って言われるの、正直なところ好きじゃない。
とても安易なたとえだと思ってる。
憑依とは、なんぞや。
霊などが乗り移ること。
憑依型の俳優といえば、自分とは全く別のキャラクターになりきることができる人のことを言う。
確かに草彅剛さんのパブリックイメージは
いいひと。この一言に尽きる。
穏やかで優しくて温かく、嘘がない。そのうえ、愛嬌たっぷりで可愛いの。
まさに、いいひと。なの。
そんな人が
『任侠ヘルパー』の彦一になる。
任侠道
弱気を助け強気を挫き、命を捨ててでも義理人情を貫く。俺はそんなホンモンの極道になりたかった。
痺れるわ。
『嘘の戦争』の一ノ瀬浩一になる。
最近だと
『まく子』でのエロ父ちゃん
『台風家族』のゲスでクズで最低最悪な長男小鉄
『アルトゥロ・ウイの興隆』の、ウイ様。
ウイ....
のことを思うと今でも体が震えてくる。
いまだに洗脳され続けてるみたい、私。
ここ最近の彼はイメージとは無限にかけ離れた役として生きてきた。
だから憑依型だといわれるのも確かにそうなんだけど、
だけど、私は、とりついたというのにどこか抵抗感じてしまうの。
つかさんも言われてたでしょ。
彼の腹のなかには魔物が棲んでる。と。
静かな佇まいの体にはケモノが眠る。
ひとたび、セリフを発っすればケモノは目覚め、暴れだす。
と。
となると、とりついたわけじゃないのよ、
役が降りてきたのでもない。
彼の内に潜んでるものが目覚めただけなのよ。
だから、
内田監督の
ピュアさ、100%の憑依
この言葉を目にしたとき、ゾクッとした。
鳥肌がたって身震いした。
草彅剛という役者を
ここまでしっかりとわかってくれてることに感動した。
ピュアさ、100%の憑依。
混じりけ無しの、完全に純粋な草彅剛。
だから、衣装を合わせると
自然とその役の人になるの。
いつの間にか、目の前にその人がそこにいるの。
内田監督も言われてるように、
本人も気付いてないんだよね、自分のその変化を。
剛くん自身も自分が憑依してるだなんて思ったことないと思う。計算をいったん忘れたところで、ただ、その人になって演じたいだけ。
無意識のなかの変化。
その瞬間を三谷幸喜さんは目の当たりにしたんだよなぁ。
“役者に役が『乗り移る』瞬間を僕は初めて見た”
こう言わしめた草彅剛の凄さよ。
そもそも、役作りという概念は草彅剛のなかには存在しないんじゃない?
基本ノープランなんだから。
とりあえずやってみようぜ。
から始まるの。
常に余白を持たせておいて、
現場で生まれる空気感や勢いを大切にする。
そこで自分でも予想だにしない自分と出会ったり、思いもよらない感情を発見したりすると、その余白で思う存分絵を描いていく。
だからね、憑依であって憑依じゃない。
憑依って言い方を
とりつかれてしまうというよりも、その中に吸い込むという意味合いで捉えるならば
草彅剛という役者は
まさに憑依型と言えるんだと思う。
だからね、
草彅さんはかぎりなく100%に近い憑依
内田監督の言葉はストンとそれこそわだかまり一切無く私のなかに落ちてきた。
今の草なぎ剛だから演じられる
そんな役が来るべきタイミングでやって来る。
それこそが演劇の神様の思し召し。
演劇の神様に愛され魅入られた証。
この秋公開予定の
『ミッドナイトスワン』
予想をはるかにこえてくるに違いない。
そんな期待で胸がいっぱい。
だからね、
もったいぶらないで地上波で連続ドラマやろうよ。
誰もが手軽にお気楽に見れるテレビで
役者草なぎ剛を見せてよ。
最近草なぎ剛さんのドラマ見ないね。
そろそろ、彼のドラマ見たいな。
お茶の間の視聴者の声に少しは耳を傾けようよ。
テレビの純粋な楽しみ方取り戻そうよ。