今日で4歳になりました🎵
今から4年前の2017年9月22日
この日に吾郎さんと剛くんと慎吾が新しい地図というファンサイトを立ち上げました。
早いものであれからもう4年。
悔しい思いも悲しい思いも苛立つこともいろいろありながらも、いつだって私たちファンに寄り添ってたくさんの喜びと、優しさと温かい笑顔と、前に進む勇気を与えてくれた。
一番記憶に新しいのは3人でパラリンピックの聖火リレーで最終走者として走ったこと。
IPC特別親善大使として
パラリンピックの魅力をメディアやSNSを通じて発信し続ける姿をずっと見てきたから
誇らしくて仕方なかったよ。
涙で勇姿が霞んでどうしようもなかった。
先日、
鈴木おさむさんが、TBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』に出演して、 72時間ホンネテレビのことを話してくれたの。
9月22日という、彼らが動き出した記念日間近に
いまや、ホームといってもいい番組「ななにー」について話す。
なんというタイミングの良さ。
その日が近いからあえて話してくれたのかな、と思うとね、尚更、おさむさんが語る
言葉の一言一言が胸に染み入ってじーんとなる。
「スマスマのときもお世話になったし、ななにー、72時間の番組のときにも、出る人、出ない人っていう、忖度の嵐のなか、爆笑さんが一番最初に出ることを決めていただいて、ほんとに心強かった。最後にメンバーが泣きましたけど、僕も同じ気持ちです。いろんな人にオファーするわけですよ。砂金探しみたいなもの。
その当時は現実だった。
爆笑さんが出ると決めてくれたときの会議で、
「爆笑オッケーになりました。」
皆立ち上がって、「よーし!」って。
ああいう状況で出てくれたとき、最初に、「飯島呼べっ」て欲しい一言をくれるっていう。
ほんとに感謝してます。勇気も凄いですし。」
私だってあのときは、
完全に干されると覚悟したんだよ。
それでもずっとついていく!て決めた。
いまこそ、私達ファンの力を結集させるとき。
おこがましいけど、私たちが彼らを守る!
それくらい鼻息荒かったかな。
AbemaTVで
3人の番組をやると聞いたときも、大丈夫なのか、不安だらけだったよ。
実際ね、ほんとに極秘で進めてなかったら潰されてたっていう話も聞いたし。
この頃から
私は忖度という言葉を知る。
あれだけ吉本の芸人さんと共演してきたのに、
パタリと誰も来なくなった。
アイドルの人達もそう。
そういう状況のなかにもかかわらず、
爆笑さんが真っ先に出演をきめてくれた裏話を知り、
あのときの吾郎さんの号泣、剛くんと慎吾の涙の意味をわかってたつもりでいたけど
全然わかっていなかった。
彼ら3人にしかわからない
傷口の深さと痛さ、疼きが、明日が見えてこない恐怖が、やっと私にもほんとの意味で少しはわかったように思う。
ぎりぎりまで追い込まれてたんだね。
自分で選んだいばらの道とはいえ、彼らだって人間です。
もがいて苦しんで持っていき場のない怒りに自分を見失いそうになったかもしれない。
そんなときだったからこそ、
人の優しさの温もりと有り難みにふれて、
涙がとめどめもなく流れてどうしようもなかったのかな、とか..
あの時流した涙が
今では笑顔に変わって
ますます輝きを増してきた。
時間に追われず
ほんとにやりたいことがやれるようになった。
それが自信に繋がって
目の前に立ちふさがってた大きな壁を揺るがし
奇跡を呼び込む。
あの、日本アカデミー賞最優秀男優賞受賞はほんとうに嬉しかったし
ミッドナイトスワンが公開してまもなく1年になろうかというのに
いまだに上映されてる、ってことも、どれだけ愛されてるんだろう。と思う。
ほんとうに大きな大きな作品と出会いました。
"心をこめて、心を打つ"
この言葉そのままの彼らの大きな背中を見失わないように
私も私の思うままにあなた方を追い求めていきますね。
ずっとずっと遊び続けようね。
大好きだよー。