4月24日
4月24日はつかこうへいさんのお誕生日
つかさんはこの日に生を受け
そして、草彅剛さんの誕生日の翌日の7月10日にこの世を去ります。
そのつかさんが草彅剛の中に眠る役者魂を呼び覚ましてくれました。
つかさんとの出会いがなければ、
今私が心の底から愛しく思ってる草彅剛さんは存在しないかもしれない。
それほど、一人の男とその周りの人々の人生を変えた大きな転機になりました。
つかさんが剛くんの背中を押してくださったから
新しい扉を開くことが出来た。
自信がどれだけのパワーを生み出すものか、
当時の剛くんを見てて感じたことです。
つかさんの言葉に
"芝居なんて、うまさとかテクニックでみせるもんじゃないんだよ。熱さとか、舞台から投げつけられるエネルギーだ。"
"実際問題として、二時間を芝居のテクニックだとか演技だとかでは、もたせられないもんなんですよ。役者の人間性の部分、人としての正しさしかもたない。いんちきはダメ。"
とあります。
まさに、草彅剛です。
剛のヤスだ。ザンパノだ。男1だ。孤独な男だ。
スクネだ。直輝だ。テイラーだ。忠太郎だ。義太郎だ。賢一郎だ。
舞台に限らず
ドラマや映画の世界で
草彅剛が演じてきた、あの人この人が甦ってくる。
草彅剛の演技は
その人そのもの。
小細工なしの、魂の叫び。
テクニックで誤魔化すこともない。
私の目の前にいるのは、まさにその人。
そこに命がしっかりと宿っているから私の中に今も生き続けている。
その場しのぎじゃないのよね。<終わりは始まり、始点終点>
の言葉の持つ意味が剛くんと結び付く。
幕が下りてから私の中でまた始まるの、カーテンコールが永遠に続くの。
でも、一番根っこにある大事なものは
草彅剛という一人の人間の、人間性。
彼の人としての生き方が表裏なくまっすぐで嘘がない、純白だから、
だから、どんな役にも濁りなく、その人色に自然に染まることができるんだと思う。
つかさんには一瞬にして
そんな裸の草彅剛が見えたんだよね。
"僕は、芝居を観に来たお客さんをハッピーエンドで帰したい、というのがあるんです。"
"劇を見終わった観客の皆さんが楽しく爽やかな気分で席を立ってもらいたい。そんなことを心掛けているんです。"
これもつかさんの言葉。
剛くんもいつも言ってるよね。
「観に来たお客様に何か幸せを持って帰ってもらいたい。」
と。
すべてのことがつかさんに繋がっていく。
剛くんがどれだけのものをつかさんからいただいたのか、
つかイズムを受け継いだのか
剛くんの中に生き続けるつかさんに
私の中に生き続ける、剛くんが演じた数々の人が重なる。
私も彼らからたくさんのものを貰ってるんだよ。
それが今の私を支えてるの。
そんな人がたくさんいるんだよ、剛くん。