yumipon0524’s diary

草彅剛さんが大好きです。剛くんメインのひとり言日記です。

白井晃さんが語る引き際の美学を聴いて

白井晃さんが
ラジオ深夜便で訥々と思いを語られてた。

劇場という空間を、そして、
演劇を心から愛されてるんだな、という気持ちがまっすぐ伝わってきた。

とても濃い内容のお話だったので
自分の記録として、ざっくりと書き起こししてみました。

2014年から勤めてきたKAAT神奈川芸術劇場の参与を、そして、2016年からの芸術監督を任期がきて今年の3月に退任。
7年でやめるのは早いと言われたこともあるが
自分にとっての7年は濃密な時間でしたし、
神奈川芸術劇場は開館して10年、まだまだ若い劇場。
東京と微妙な距離感にあり、どんどんおもしろいこと発信して、東京の劇場ではできないこと、新しい舞台表現だとかを打ち出していきたいなと思った。
この劇場にはもっと新しい血が必要ではないかと痛感して、次期監督にバトンタッチしよう。と決意した時に、自分の能力も含めて、
このままあとさらに5年やっていくことは
自分自身のなかに慣れが生じてしまいますし、だんだん風景に慣れてくる。自分のいる場所にも慣れてくる。それが一番怖いなと思った。
スタッフとの関係もどこか妥協点をみつけやすいとなっていく。
ある程度、信頼関係のなかでも緊張感をたもちながらやりたい。
新しい血をどんどんいれていくべき劇場だと。

公共劇場だからこそ民間の劇場でなかなかチャレンジしにくい作品に挑戦していきたい。
新しい視点でもう一度見直すことにチャレンジしてた。


観客動員も2019年度過去最高にふえたのはまずは自分としてはホッとしてるし充実感はある。

劇場は人が集まってこそ価値があるという信念でやってきた。


ベテランの域にはいったけど
若手と一緒にやることは刺激ももらえるし、
その刺激はまだまだ頑張らなきゃと思わせてもらえる。
退任するっていうのは引退とは違う。大きなカケでしたし、若手の長塚さんにお任せすることになった。委ねることでリスクもあるけど自分にない発想でやらかしてくれるかもしれない。

でも、それは、自分自身が裸一貫になることになるということなので
フリーの立場になるので、
いつも表現者が安全に守られていてはいけない。
芸術監督という地位にのさばって、自分のとげが磨耗していってはいけない。
あと何ができるか。
勿論、過去のようなねばりだとか、物をリサーチする力は落ちてきているが、その分、経験はついてきて、それがひとつの自分の財産となってきた。それを使って、あと10年20年何ができるだろう。
安穏としていているわけにはいかないので。ひりひりした状態に自分をおいてかなければいけない、と思った。
安全な場所に鎮座していると、表現者として下降線をたどっていくなという怖さはあった。
こわかったけど
線路が見えないところに自分の車を走らせたい。
それは不安なことではあったけど。


(節目節目で過去のものをいかしながら
前に前にすすんでいる気がして)

このまま続けていると
慣れていってしまう危機感とか自分自身も妥協しはじめてくる。新しい風景がだんだん慣れた風景になる。おかしいと思ってたことが当たり前の現実になっていく。それはまずい。自分で逃げ出すわけじゃないけど、視線を変えていかないといけないかなと思って
一度自分をさら地に戻してみてそこであなたは何が出来るかと自分に問いただしてみよう。と思ったけど、
ほんとうは、めちゃくちゃ未練たらしい。


"未来に背を向けて後ろ向きに前進する。"

感銘をうけた言葉です。
時間というものの積み重ねを見ながらそれでも新しいものをさらにさらに積み込んでいくために
前進していく。
まさに
この感覚が自分にはある。

前を見てるからといって
具体的な目標なんか一切無い。
さら地にしてるだけ。一回さら地にしないと新たな出会いは生まれないとおもってるだけ。
今やってきたことの上に何かをつみかさねていくために
さら地にしただけ。
さら地にしないと次にはすすめない。



『アルトゥロ・ウイの興隆』をまたやります。
ブレヒトの作品を生バンドと一緒に。
ヒトラーをモチーフにした風刺劇を、
これも勘なんですが、JBの曲を中心にソウルでやってみたらおもしろいんじゃないか。
コロナがひろがる前だったので客席を巻き込んで
というようなやりかたをしてたんで、再演を決めてからここまで長くコロナ感染が収束しないとは思ってもいなかったので、演出も少しかえていかなければならないところはあるのでどうしたもんかと
思案しているところです。


劇場は心を動かす場として機能していくべきなんじゃないか。
観客が
観るだけではなくてかかわる場でもおもしろいんじゃないか。

今後やってみたいことは、
劇場文化のおもしろさを今後の世代の人にしってもらいたい。
子供たちに劇場の面白さを感じてほしい。
のこされた時間のなかで1本
みんながあっと驚くような作品を作りたい。


新しいことを始めるのにはいったんさら地にしないといけない。
勇気をもつことが新しいことを始めるのには必要




と、情熱的に話されてたんです。
剛くんもそうですが、思いの丈を話すときって人は早口になるんですね。
胸に秘めてた感情が言葉として発せられて、
それが聞き手の心を打つ。
ラジオは声だけです。
顔は見えません。だから余計に声に込められた熱いエネルギーを感じ取れるんです。


白井さんのお話を聞いてて
草彅剛との出会いの時期を考えたら、これはもう運命だと
思わざるをえない。


演出家白井晃さんと役者草彅剛は
2018年4月に上演した、『バリーターク』 で初めてタッグを組みます。

2018年4月といえば、草彅剛は新しい船に乗り換え、新しい地図を広げてまだ間もない頃。

白井さんも芸術監督を5年の任期満了で終え、若い世代にバトンタッチしようと考えてた頃なんだな、と思うと


しかも、
作品が 『バリーターク』

今まで味わったことの無い死生観にひきこみ、人生とは何か。我々はなぜ生きているのか?生きている意味、死の迎えかた、をかんがえさせる、実に普遍的な作品。

剛くんが今までやったことのない世界観。
新しい自分を表現する場をここにきて与えられた。
未知なる自分を追い求める絶好のチャンス。

この二人をこの時期に巡り合わせたのは
運命でしかないと思わざるをえないじゃないですか。

ふたりとも環境が変わります。
そこに至るまでの過程は
1人はそうせざるを得なかった
一人は自分のこれからをよく考えて自らが望んだこと。
と、事情は違うけど
最終的な決断は自らが下した、そこは同じ。
いったん、さら地に戻して0から出発して新しい地図を広げた。
線路が見えない所に車を走らせた。
いばらのみちを歩いてきた。

裸一貫になる怖さを知ったふたり。
これまで積み重ねてきた時間の上に
新しいものをさらに積み込んでいくために
リスタートしたふたり。
ふたりとも
若手に刺激されてさらにやる気を漲らせてる。
そんなふたりが
11月に
『アルトゥロ・ウイの興隆』で再びタッグを組む。

2020年1月に神奈川芸術劇場で上演し、大絶賛のなか幕を閉じた作品が待望の再演です。


役者が客席に降りる。
観客を煽りに煽る。
それによって、どんどん異様な雰囲気にのめりこんで自分でも押さえきれない力が働き熱狂の渦に巻き込まれていく。
思い出しただけでとてつもなく興奮し、身震いしてくる。
コロナがようやく落ち着いてきたとはいえ、まだまだ予断を許さない状況のなか、そのような演出をどう変えてくるのか
気になるところではありますが

この二人なら
さらに進化した舞台を見せてくれるにちがいない。


自分をしっかりと見つめ、
築き上げた場所にしがみつくことなく、
安全よりは冒険を
不安よりは喜びを
見慣れた景色よりも新しい景色を
舗装された道よりも曲がり角だらけの先が見えないでこぼこ道を

積み重ねてきた経験と自分自身の力を信じて
再出発した二人だからこそ生み出せる世界に
この身を置きたい。
この目でこの耳でこの肌で感じとりたい。

アルトゥロ・ウイ

名前を唱えるだけで鳥肌がたつよ。

あの高揚が
迸る熱量が
よみがえる。

アルトゥロ・ウイ 早く会いたい。



そして、
残された時間のなかで、1本、みんながあっと驚く作品が作りたいとの白井さんの思いを聞きながら
白井さんの描いてるその世界に
草彅剛がいますように、と願いをこめて。