yumipon0524’s diary

草彅剛さんが大好きです。剛くんメインのひとり言日記です。

美賀君に思いを寄せ

ごめんね。
私はどうしても無理。

慶喜公と美賀君の再会のシーンにみなさん感動なさってたようだけど
私にはまがい物にしか見えない。


美賀君
「よく、よく、生きていて下さりました」

は、夫に対する揺るぎない愛情からの言葉。

身代わり結婚で、新婚生活もほとんどなく、共に暮らした時間もわずか。ほぼ、形だけの夫婦でありながらも、それでも、美賀君は慶喜に夫としてというより男性として恋してたんだと思う。だから、焼きもちも妬いた。嫉妬のあまり自殺未遂をしたとも言われている。妻としてどれだけ寂しい思いをしてきたか。それほどの愛しき人が今目の前にいる。お会いするのは10年ぶりか。そっと頬に触れて、その存在を涙しながら確かめる美賀君の切ない女心。

為されるがままに、奥方の顔をまばたきもせずまっすぐに見つめる慶喜の純粋な瞳。

その瞳に穢れはない。


“やっとやっと、会えた。
これからはふたりの暮らしが始まる。”

それはそれは幸せな瞬間だったろうと想像はつく。


渋沢篤太夫にも

「私は御代を呼び寄せ、屋敷を構え、
西洋の画を学び、碁を打ち、心穏やかに過ごしている」


美賀君との余生をたのしまれているようだ。


だけどね、
慶喜がその後ふたりの女性を側室にして次々に子供を作り、その数10男11女。

という史実がどうしても脳裏を横切るの。


あんなに愛しそうに美賀君を見つめておきながら、
違う女性を側におき、子供を作り、正室の美賀君に実母として育てさせる。

それでも、慶喜が、序列を守り、正室をきちんと立てたから、美賀君のプライドは守られた。

とはいえ、同じ女として、それはあんまりじゃないの、と、どうしても思ってしまうのよ。美賀君が不憫でならない。


私は側室を持つことを非難してるわけじゃない。

いつの世にも正妻がいながら愛人を作る人たちは後をたたない。男と女なんて所詮そんなものよ。

だけど
美賀君が、
「わらわは、どうしても御前の子が欲しい。
天しょう院や宮さまは何度もわらわに慶喜に腹を切るようにすすめろと仰った。それでも御前はこうして生きおおせたのじゃ。
わらわは、なんとしてでも御前の子を残して見せる。そして、立派に育てて見せる」

とお付きのものに決意を語るの。
このとき、美賀君、35歳

でも、「お褥御免」といって、
30歳をすぎると、妻は、将軍と寝室は共にできない制度があったらしい。
結局、
美賀君に慶喜との子は授かることがなかった。

結婚して3年経ってようやく女の子を出産したけどすぐに亡くした過去を持つ美賀君の
なんとしてでも御前のお子を、の強い思いは
他の女に産ませた子供を実の子として育てることで叶えるしかなかった。

そんな美賀君と慶喜の関係性に
あんな感動的なシーンはいらない。
と私のなかで拒絶反応がおこる。
たとえ、あの瞬間のふたりの思いが本物だったにしても
慶喜が、美賀君だけを愛し抜いたわけじゃないことは歴史が物語ってるから
どうしても僻んだ目で見てしまい白けちゃうの。
身勝手すぎるよ、慶喜さん!と言いたくなる。

きっと私がひねくれてるだけなんでしょうね。

いや、それもあるけど、私が現実とドラマの世界をここまで混同してしまっているのは
剛くんがまさに徳川慶喜としてそこに居るから。
私に役として見させてくれないから。
慶喜として間違いなく今を生きてるから。



美賀君はいま
谷中墓地で慶喜と並んで静かな眠りについてるそうです。


いろいろあったけど最後の最後にようやく、
ふたりだけの時間を永久に持てることかできたんですよ。

だからハッピーエンドなんです。

あの再会の美しいシーンもハッピーエンドには必要なんだと思うと納得もできる。

だけど、ごめんなさい。
どうしても、私は離ればなれで暮らしてた夫婦の久々の再会を純粋に喜べない。



美賀君の辞世の句

“かくはかり うたて別をするか路に
つきぬ名残は ふちのしらゆき”




オフショットの二人はこんなに初々しく、幸せに満ちたご夫婦なのに、ね。