yumipon0524’s diary

草彅剛さんが大好きです。剛くんメインのひとり言日記です。

リスタート

5月27日に放送された、しんつよPOWERSPLASHの書き起こしはすんでた。それに色をそえようと28日目覚めてからスマホ開いたの。そしたら画面いっぱいに、Twitterから、誕生日に風船を飛ばしませんか?てメッセージがきてた。
そういえば、誕生日になると風船が飛ぶんだよね。知ってるけど、なんとなくそのままにしてた。この際飛ばしてみるか!と、誕生日を入力しなおした。もともと、9月9日にしてたのを、本来の自分の誕生日にしたの。
その瞬間に
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となり、わたしがどれだけ焦ったかわかるでしょ。私13歳未満じゃいし、もういい歳したおばちゃんなのに。
あわてて、こちらをcrickしてみた
そこには、自分の名前と誕生日が明記された公共機関発行のもののコピーを添付しておくってくださいとあった。
Twitterに、そんな個人情報を送ることに躊躇した。すみやかに消去するとははっきり書かれてはいたものの、あまりに危険。
それでも、半分パニックになってた私は指示通り、免許証を写メして送信した

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ここまでの流れを5月28日の早朝にして、Twitterからの連絡を待ち続け、今に至るというわけ。
全くのなしのつぶて。検索したら、誕生日を入力して凍結した事例が、私と同じ時期に多発してた。
なんなのよ、不具合じゃすまされないんだよ。どうにかしてよ。
じっと待つしか方法はないのか。
直接話がしたい。でも、その窓口がどこか皆目検討もつかず。ぐぐっても電話番号が出てこない。腹をくくってひたすら待った。

Twitterをログアウトしなければ、検索さえも出来ない、Twitterを開けないことを、この一連の流れで知る。
でもね、ログアウトが出来なかった。ゆみポンとして戻ってこれない気がしてログアウトするのが怖かった。だから、Twitterが見れず、情報がなにも入ってこず、一人ぼっちになった。
たまたま、ロックされた28日つよ友さんたちと会う約束があったの。ゆみポンさんが見当たらないんだけど、、と会った早々聞かれた。
ブログにも、そんなコメントをいただいた。
有り難かった。私の存在を確かに感じた。だけど、どうにもこうにもならないのよ。

パソコンやタブレットは、ログアウトしたよ。だから在宅してるときはTwitterを見ることはできた。
でも、不思議なの。
見ようという気持ちにならなかった。
メインはスマホ。そのスマホではTwitterは開けない。Twitterから遠ざかるをえなかった。友達からおおまかなことは知ることは出来たとはいえ、自分でそれを確認することがなくなった。
ぼっちになった。いまこの瞬間になにがおこってるのか、剛くんの動向も、周りの状況も、慎吾の活躍も、なにひとつ、私にはわからなくなった。
それにたいしてだんだん焦りがなくなってきた。
気持ちに余裕ができた。
Twitterに追われる日々から解放されたというか、なにも知らないからこその自由がそこにはあった。ゆったりできてる自分を楽しんでた

SNSとはなんぞや?

そう思ってた昔の自分。

はじめて、ブログ巡りをするようになり、ブログ主さんのほとんどがTwitterなるものをやってた。そこでも繋がりたいと強く願うようになった。なにもわからない状態でTwitterをびくびくしながら始めた。
私は拘りのない人で、始めた日だの、はじめてのフォロワーさんが誰だの、全然覚えてない。
それでも、見知らぬ人と繋がって楽しい~とと始めたばかりの頃に感じた感動はいまでも鮮明に覚えてる。

一人ぼっちだった私がいつのまにか、たくさんの方からフォローしていただいてた。

その私の歴史を、わけもわからない理由で消されようとしてる現状。

Twitterに異議申し立てはしてる。だが、その返事がいつくるかわからない。
私の大事なアカウント
いまのままだと、足踏み状態。前には進めない。どうするどうする

とりあえず棄てるしか方法がないのなら、それを選択するもよし、
大事だからこそ、守りたい。ならばTwitterからの連絡をひたすら待つべし。ただし、Twitterが開けないのだから、過去にも戻れないし、今を知ることも出来ないし、ましてや、未来は見えてこないよ。
さあ、ゆみポンさん、どうしますか?


J事務所を退所し、新しい地図として再出発をした、稲垣吾郎さん草彅剛さん香取慎吾さんこの3人の気持ちが、こんな状況になって私なりに見えてくるものがある。いわば、自分自身といってもいい場所を去らざるを得なかった現状にどれだけ悩み、迷い、決断を下したか。
どれだけの勇気を必要としたか

新しい1歩を踏み出すと簡単に言うけれど、そこに行き着くまでの道のりは平坦ではないし、踏み出しても、これでよかったのか、立ち止まりそうになる。
背中をおしてくれる人がどうしても必要になる。自分の思うように生きなさい。人間なんだから間違った道を選んでしまうこともあるよ。なにやってんだよ。て笑われてもいいじゃない。かっこいい生き方ってなに?だれが決めるの?
失敗する自分、笑われる自分を楽しんで、人生色鮮やかに生きていけたら最高。

6月2日朝日新聞の夕刊に掲載された剛くんのインタビューを読んだ。

草彅剛さんの言葉はいつだって私に勇気と元気を与えてくれる。知らず知らず何処かに置いてきた、人として大事なものを思い出させてくれる。
そして、そのままでいいよ。と、出来損ないの自分を認めてもくれる。

彼の言葉はなぜこんなにも私の心に素直にまっすぐに入り込んでくるんだろう。
きっと、そこに、なにひとつ打算狙いがないからだね。かっこつけようとか、そう見せようとか、うまくやろうとか、そんな邪心が欠片もないからだね。


私も一からやり直します。
Twitterはじめたころは、その便利さも怖さもなにひとつわかってなく、ただ、剛を愛する人と繋がっていく楽しさ喜びに胸震わせる日々に幸せかんじてた。いつのまにか、それに慣れることで慢性化しつつあった、“繋がりたい” という気持ち、ここを大事にしていく。そして、その人たちを逃がしたくなくて、嫌われたくなくて、本心を呟けなくなった、醜い自分ももう見たくない。




と、決めたのに

リスタートしたのに


そんな私をためすかのように、Twitterからメールがきた。
身分が確認され、凍結されてたアカウントががまた私のもとに戻ってきた。

これはこれで悩ましい。

私は弱い人間なのよ。自分の意思も簡単に流されちゃう、凡人なんだわ。

あー、これが煩悩というものなのか。。