yumipon0524’s diary

草彅剛さんが大好きです。剛くんメインのひとり言日記です。

バリーターク‐暗喩‐

観劇してきた。この思いをblogに書こうにも言葉が見つからなくて、時間だけがいたずらに過ぎていった。
時間の経過とともに感動も薄れていくはずなのに、草彅剛さんの声、目まぐるしく変わる表情、そして、不思議な感覚は色鮮やかに脳裏に焼き付いてる。
目の前にいるのは、草彅剛でいて、草彅剛ではない
それを観てる私は私なのに私じゃない。
座席に座ってるのは魂の抜けた空っぽの肉体
心はバリータークの住人になった。




開演前、ざわざわしてた客席が
一瞬にして緊張感がただよった。
ぴんと張つめた空気、しーんと静まった。
誰もが固唾を飲んで見つめたスタージ中央
そこにひとりの男が佇んで機関銃のように口走ってる。
始まった。さらなる沼への扉が開いた


松尾さん演じる男2との矢継ぎ早の日常が目の前に広がっていく。


目覚まし時計の音で起き80年代の音楽を聞きながら部屋をかけまわって着替えて食べて踊ってフィットネスをしてバリータークという村の話を語る。
ふたりは誰か
どこにいるのか
そして壁の向こうには何があるのか



途切れることのない台詞、音楽にのって軽快にテンポよくしなやかに体がうごく。
“剛はダンスしてますから”
ユースケさんの声がどこからか聞こえてきそうだ。
飛んだり跳ねたり飛び乗ったり。
ステージを所狭しと動き回る。
あれだけの激しさのなかでも呼吸が乱れない。声も出てる。
着地の音もほとんどしない。なんという身のこなし。機敏で美しく、そして軽い。
テレビや映画のようにカメラが演者にむかってくることはない。カメラの位置もきまってない。
そこにいる観客の目がカメラになる。その目はその人によって観てるものが違ってくる。だから、演者の魅せ方によって受ける印象も変わってくる。
舞台俳優草彅剛の圧倒的存在感。
豊かな表情に釘付けにさせられた。
バリータークの住人が男1によって次から次にその姿を見せる。
その好奇心旺盛さもその顔の動きだけでわかるし、漠然と感じる不安恐怖に怯えてる心の影も見えてくる。膨大な台詞はその確認作業と化してしまう



毎日おなじことの繰り返し、そんな日々が
第3の男の出現によってくつがえされる。
男1はすべてを知ることになるのだ、いや、薄々感じてはいたんだよ。ただ、思い出そうとすると、それを拒否するかのように痙攣がおこる。自己防衛なのだろうか。
男2もヘルメットを被せることで、押し込めようとしてるつもりか。

でも、心は本来は自由なはず。



『完全にわけがわからないよ
こんなところにいたらどんどん自分がなくなっていく気がするよ
そんな風に感じないか』
『あそこになにがあるのか知ってるのにどうしてここにいられる
そんなのどこにも自由がないよ
ただ言葉で隙間を埋めているだけだ
本当の人生じゃないよ
ねぇ、なのにどうして!』

と声を押し殺したように叫ぶ。それが心に突き刺さってズキズキ痛む。
男1の虚しさもどかしさ、心からの叫びに血が滲む。


男1は壁の向こうに歩いていく。
守られた生より生きる死を選んだ。
待ち受けるものが終わりであってもそこにたどり着くまでに自分のほんとの人生がある。
終わりは始りなんだよ。
残された男2
そこにドアを叩く音が。
入ってきたのは・・・・
衝撃だった。
あー、輪廻か。そういうことか。またあらたなバリータークの時が刻まれていく。バリータークは不滅なんだ。



自由のなかに幸せはあるのか、不自由だからこそ幸せなのか。そんなことを考えさせられた。生きるための不自由と死にむかう自由
“13番目の客” の世界観がふとよみがえってきた。

本田は、まよいこんだ奇妙な世界の秩序ある毎日の繰り返しに心の平穏を見いだし、そこでしか生きていけなくなってしまった。元の世界に戻れたのに、外に出られたのに、もう彼はその世界に順応できない。

男1は、繰り返される日常に疑問を感じ始め、これでいいのか、ここに本当の自由はない、自分の足であるきたいと、外の世界に自分の人生を求めた、たとえそれが死にむかう道だとしても


このふたりの姿に、生と死、自由と不自由、秩序とルーティン 己の心との戦いが見えてくる。全く真逆の道を歩んでるように見えながらも突き詰めるとテーマは同じなのではないか。


4月27日、おはよう日本で剛の特集があった。

そこで

“外の世界を見たい出ていきたいっていうのは、新しい別の窓を開けている自分の気持ちに重なったりする。だから人生かけてやります!”

“飛び出せない人とか勿論気持ちわかるし、でも案外自分って出来るよって。失敗してもいいじゃないかって。とりあえずやってみよう、みたいな。
そうしているうちに自分のものになっていくんじゃないかなっていうのを信じるか信じないか。人生ってそうだと思う。怖いな不安だなとかそれがあるからいいんですよ”

と、インタビューに答えてた。


www.nhk.or.jp


演出の白井さんも
「稽古しているうちに、まるで今の草彅さんの心境を、少し投射しているような部分もあるな、と。
自分の今の存在っていうものを、どういうふうに考えていったらいいかとか模索する人物に相応しい人」と。



外の世界を見たい出ていきたい。
怖いとか不安とかあるけれど、それがあるからこその人生。恐れずにまずは踏み出してみる。そこにほんとの自分がうまれる。

まさに、“バリーターク”の核心をついてるではないか。
身震いした。



そもそも、バリータークとはなんなのか。
この二人が暮らす部屋はどこにあるのか。


パンフレットの白井氏の言葉ですべてが繋がった。

そういうことなんだね。
そういう視点でこの舞台を見直したらまた感じることは変わってくるのかもしれない。


いや、あまり考えない方がいいのかなぁ。考えるより感じろ。
各々余白を楽しめ

てことか。