yumipon0524’s diary

草彅剛さんが大好きです。剛くんメインのひとり言日記です。

伝える

絶対的好感論『伝える』

剛くんの穏やかで優しい中にある、とてつもない強さを感じた。どんな状況におかれても、しっかりと自分を見つめてる。彼って、本当に強い人だと思う


剛くんの願いは、

『お芝居や歌を通して、見ている人に幸せを届けたい』


草彅剛さんの連続ドラマが始まると知るだけで心が幸せになる。毎日の活力がわいてくる。それを楽しみに日々頑張れる。ドラマ見て、そのわずか1時間に、どれだけ集中し、どれだけの感動を得てることか。濃縮された幸せにしばらくは酔いしれてる。酔いがさめないうちに次の回が放送になる。幸せに幸せが重なり泣きたくなる。3ヶ月それを繰り返して、最終回を迎える頃には極度の幸せの中毒患者。
求めて求めて求め続ける。
時折、番組が終わったあとの自分の姿を想像しては胸が苦しくなる。終わったのに次回を期待してテレビの前に待機してる私。剛の姿がない!と、終わったことを受け入れられず、剛剛と心がさ迷い歩く。そんな日々が暫く続くんだよね。でも、その間も幸せなのよ、私達は。そんな自分が嫌いじゃない。

剛くん、あなたのお芝居や歌でこの上ない幸せたくさん貰ってるよ。
作品によっては、重苦しいものも確かにあるけど、でもね、そこからちゃんと、HAPPYを感じてる。不幸せで終わった人って誰一人いないでしょ。
剛くんがしっかりと、その人なりの幸せをみつけてるじゃない。どの人もとてもいい顔してるよ。光が射して明るい未来を期待させる姿しか私には見えなかった。

あっ、唯一、白石富雄は…赤松と同じ金の亡者に成り果てたのか…と思わせるシーンで終わったのよね。。「金にとりつかれたものは金から逃げられない」赤松の言葉が、一面びっしり敷き詰められた一万円札の束を眺め、その匂いを嗅いでニンマリする富雄の姿と見事に重なってざわつくのよ。。富雄、社会のクズのように地獄を這いつくばってるのかしら。でも、もしかしたら、そこに富雄なりの幸せがあるのかもしれないし。。そんな草彅剛を観たい観たい観たい!!私の願望でもある。

剛くんが、全力で楽しんで取り組んでるのはどの作品からもしっかり伝わってるよ。いつだって、そのときそのときに全力投球。その瞬間に持てる全てを注ぎ込んでること、目の動き、口の動き、そんなちょっとした動きから、見逃してしまうほどのふとした表情から、言葉の端々から、役に生きてるのがしっかりと伝わるの。心の動きが声なき言葉でわかりあえるってすごくない?
受け手によって、その声が伝えたいものがなんなのか、微妙に変わる。それがまた面白さでもあるんだよね。

だから、剛くん、安心して。あなたが伝えたいことは私達全て受け取ってます。そして、喜び、時には泣き、悔しい思いもし、怒りもこみあげ、憎しみさえ覚えることもあるけど、でも、最後にたどり着くのは笑顔。幸せだなーというHAPPYな感情だよ。


仕事柄ですませていいとは私は思わないけど、あたかも、真実であるかのような記事が大手を振って歩いてる。「書いたり言ったりしてる人の顔は一向に見えない。そんな声に本気で怒っても自分がバカみたいだし。」剛くんのこの言葉から、コメンテーター山田美保子さんの、「SMAPに会ったこともない人がワイドショーで喋ってる。現場でも一度も会ったことない人がコメントしてる」の言葉を思い出した。

【ネガティブな声に傷ついたり惑わされたりするのは時間のムダ。「ちゃんちゃらおかしいや」と放っておくのが一番。】
30年近く芸能界に身を置いてきてこの境地にいたったんだね。
何を言われようと何を書かれようと、無言を貫いているのは、ちゃんちゃらおかしいや!と。

それに比べて私の未熟なこと。言いたい本意だい書きたい放題の記事にいちいち噛みついてしまう。反応することが相手の思うツボだとわかっていながらも我満できない。悔しいじゃない、腹立たしいじゃない、関係者って誰よ、名を名乗れ!こそこそ隠れて告げ口するじゃないよ、事実なら正々堂々と暴露しろよ。ついていい嘘とそうじゃない嘘があるんだよ。いい大人がそんなこともわからないの?


私なんかより書かれた当の本人が誰よりもいろんな気持ち抱えてるだろうに、、相手にしない、この強さ。慣れてしまった、との剛くんの言葉に芸能界の深い闇を感じてね。華やかな表舞台とは裏腹の、たくさんの苦悩が見えてくる。「いろんなことを書かれてももう傷つきもしない」って、傷ついて傷ついて、これ以上傷付きようがないくらい、そこまで傷ついて、今やとてつもなく硬いものにおおわれてしまってるということなのかと、思うと、、
そんななかでも、いつだって、私達に笑顔で勇気と元気パワーを与えてくれ続けてる彼に たくさんたくさん ありがとう なのです。

そして、彼の強さは私達ファンのためでもあるし、逆に、私達が彼を強くしてるのかもしれないよ。ファンの身勝手な思いかもしれないけど、彼が力強く踏ん張る姿があるから私達も踏ん張れてるだもん。これからも何があっても彼についていこうと気持ち新たにしたんだもん。そして、そんな私達をみて、彼もさらに強くなる。
彼のファンへの愛、ファンの彼への愛、がお互いをつよくしてるんだよ。愛が伝わるってこういうことなんだよね。


そしてね、やっぱりアナログを愛する草彅剛が愛しいの。機械オンチで慎吾にヘルプだしてた剛くんがあれよあれよというまにiPhoneも使いこなし、いつのまにかSNSもやるようになり、デジタル人間になっちゃった…寂しさ感じてた。

今の世の中、ほんとに便利になった。ボタンひとつでなんでも出来る。人の手で手間隙かけてやってたことも、機械があればあっというまに完璧に仕上がる世の中。コンピューターで情報が管理されてる。社会の進歩はすばらしいけど、反面、人間が機械に支配されてるんじゃないか、と、ふと恐くなるときがある。でもね、生きていく上で必要な 情というものがコンピューターに組み込まれてないからね。人と人の心のふれあいがなければやっぱり生きていけないよ。ひとりぼっちじゃなにも出来ないし生まれない。

いくらデジタル化がすすんでも、時間をかけて、人の手をかりて、産み出すものの素晴らしさを忘れてはいけない。

『あなたへ』高倉健さんと最初で最後になった共演作品。時間をかけて、じっくり丁寧に1シーン1シーン作り上げていく、昔ながらの手法で撮り続けるその現場で剛くんが学んだもののなんと大きなこと。
CGは、映像美の素晴らしさ、迫力のすごさで圧巻されて、ぐいぐい引き込まれる。まさにザ、映画!かな。
それに比べると、昔ながらの撮り方は地味だよね。でもそこに流れるものの温かさだとか優しさだとか、微妙な心の動き、それはCGでは出せない。

今は手紙を書く人も少なくなったでしょ。電話もあれば、メールにLINEだったり。
あっというまに相手に用事を伝えられる。

でもね、そんな世の中でも、わざわざ手書きの手紙を書いたり、貰ったり、そんな人も少なくない。相手からの手紙を毎日郵便ポスト覗いて待つ楽しさっていいもんでしょ。時には思いがけない相手からの近況報告が届いたりして感動しちゃう。そこにはその人に対する思いがいっぱい溢れてる。
だからこそ、相手に伝わるものがあるんだよね。

剛くん、健さんから、たくさんのものをいただいたんだね。
当時、たくさんお話したんだもんね


剛「やりたいものは何だとかあんまりわかんない」
健さん「わからない?」
剛「はい」
健さん「幸せなのか不幸せなのかわからないけど。やっぱ欲はあったほうがいい気がするなぁ。」
剛「そうですか」
健さん「走りやすいよね。自分の中に何かがないと、走れなくなるっていうか。走るスタミナが切れちゃうっていうのか。目的は出来ますよ、それは。きっとそういう人の方が欲望は強いんじゃないの?」

これが高倉健さんと剛くんの出会い。


目的は見つかった?そんな話も出たかもね

そして、健さんの日本映画への熱い想いを伝えられ、受け継いでくれ、君なら大丈夫。なんて話も出たんじゃないかと思う。
高倉健になれるのは草彅剛しかいない。つかさんの思いがこうして伝わってる。