yumipon0524’s diary

草彅剛さんが大好きです。剛くんメインのひとり言日記です。

共に気張らずお気楽で

『私は草彅剛さんが好きです。
誰が一番好き?と聞かれたら躊躇なく 草彅剛 と答えます。
その草彅さんは
ジャニーズ事務所を退所し、稲垣吾郎さんと香取慎吾さんと公式ファンサイト『新しい地図』を開設して2年目になります。
そして、3人一緒にお仕事するときもあります。
でも、新しい地図はグループではありません。彼らはユニットを組んでいません。
あくまでも一人一人個々での活動です。
私はその新しい地図の会員です。
NAKAMAです。


昨年12月
稲垣吾郎さんは赤坂ACTシアターオリックス劇場、KAATで
香取慎吾さんは世田谷パブリックシアター
そして、草彅剛さんは、日生劇場
舞台に立ちました

特に慎吾と剛くんの東京公演はまるかぶり。
千秋楽まで同じ28日です。


東京大千秋楽の幕も無事におり、
今年に入ってからの慎吾の大阪公演も
久留米での吾郎さんの舞台も終わりました。


冬です。
比較的暖かかった去年までと違って空気が肌に突き刺す寒い日が続きます。

そんななか、TLも一部で荒れてます。


剛くんは吾郎さんの舞台を観劇しました。
舞台稽古真っ最中、本番目前の追い込みであろうなか、時間をつくりました。


慎吾の舞台も大阪まで観に行きました。
飯島さんも一緒です。




慎吾はというと
今回の舞台は観に来てません。
絶対に慎吾の好きな世界観だと剛は言ってました。
話の内容を聞いて慎吾も観たいと言ってました。
だけど、慎吾も同時期舞台に立ってたし、絵を仕上げなければならない差し迫った状況もあって、断念せざるを得ませんでした。
でも、吾郎さんの舞台は11月に観劇してます。


https://www.instagram.com/p/BqrZCi9Hy15/?utm_source=ig_web_copy_link


パワスプでもこの話になったときに、
慎吾が
観に行けるのかねぇ
と憂いでました。
剛くんは、
行けるかな?僕は行けると思う
ときっぱり。

このときから二人の心持ちが違います。
慎吾の舞台は年明けた1月に大阪でもあるという事も剛くんの、「僕は行けると思う」に繋がるんだろうね。その頃には時間に余裕ができるから。


2019年最初のパワスプで、
この話になりました。

舞台は一期一会だと言いながらも
ちょっと冗談目かして
「吾郎さんも来てくれないし、慎吾も来てくれないし、私はしゃみちぃですよ」
笑ってはいたけど
おどけたような口振りだったけど
あえて、赤ちゃん言葉使ったのは
心の底にある本心を隠したかったからなんじゃないかと推測しては切なくなった。


翌週のパワスプでも、

剛くんが千秋楽にアップした写真を慎吾が見て
「イメチャンしたね、マッチョだね。」
て言うと
「慎吾も吾郎さんも来てくれないから」
「結局ふたり来てくれないし」
と、何度も。
「ほんとはふたり千秋楽来てくれて、楽屋の前とかで写真撮ってそれをアップしたかったのに、来てくれないから、一人寂しく鏡の前で自撮りしてた写真を使うことにした」

との剛の言葉に
過剰に反応しちゃった人がいたわけです。



ここから
ファンの勝手な妄想が始まり
愚痴となり不満となってたまってた自分の思いを吐き出しはじめ、一部でザワザワし始めたの。

「寂しい
ふたり来てくれないし」

剛くんはそう思ったから自分の心のままに言葉にしただけでしょ。
そこに他意はない。
ふたりへの恨み節のように聞こえなくもないけど責めてはいないよ。
それもふたりらしいから、とわかっていても
言いたくなった剛くんの真っ正直な人柄にあらためて私は惚れ直しました。
あれだけのスーパースターでありながら、
自分の人気のうえにふんぞり返らず
どこまでも自然体。
大人になるにつれ、社会のルールに乗らざるを得なくなり、そこに置いてくるしかなかった、人としてのとっても大事な感情を生まれたての赤ちゃんのまま持ち続けてるんだもの。



晴れの舞台を大好きな人大事な人に観てもらいたい気持ちに大人も子供もないと思う。
こんなに頑張った自分をほめてもらいたい、と思っちゃいけないの?
いい歳をした大人が
来てくれなくて寂しいと思うのはおかしいですか?
誰にだって少なからずそういう気持ちあるでしょうに。
それがモチベーションとなり新たな一歩に繋がっていくであろうに。

それを「子供みたい。学芸会じゃないんだから、我が儘だよ」


の一言で片付けてしまう人がいたことが悲しかった。
もっとおおらかな気持ちをもってなきゃ、長い人生疲れちゃうよ。


そして、悲しいことに剛ファンの不満の捌け口は慎吾と吾郎さんにむかいます。


NAKAMAなんだから
お互いがお互いを認めあい、応援しあわなければならないのに、なぜ来てくれないのか。
剛くんは観に行ったじゃない。互いに観劇しあうのが最低限の思いやりなんじゃないのか。


そうなのかな。
NAKAMAに縛られすぎてませんか?
NAKAMAなんだからこうしなきゃいけない。こうすべきだ。運命共同体とまで決めつけてもいいのかしら。

剛くんは最初に言ってます。
一人一人同じ想い、同じ目的をもった3人が集まった。
だけどグループではない。個人というか、ひとりっていう感じ。新しい感覚で各々がやりたいことをやってる。

だから、ひとつの概念にとらわれずに自由に、その時にしか出来ないことをやっていってほしい。

それに草彅剛という人は見返りをもとめるような人じゃない。
吾郎さんの舞台も慎吾の舞台もNAKAMAだから
観たわけじゃない。
観たいから観に行ったの。
一人の役者として素晴らしいと思ってる二人の舞台を楽しみにしてたものね。
そして、そこでの一期一会の出会いに
刺激されて彼のなかでまた違った化学反応をおこしはじめる。
自分も観に行ったのだから俺のも観てくれ
なんてそんなケチな発想は剛くんにはない。



自分がさりげなく口にしたことで
こんなにマイナスな感情を
自分が大事におもってる人達のなかから引き出したことに
かれ自身が傷ついてないか
言いたいことも言えなくなる不自由さで
剛くんを縛り付けたんじゃないか

と、思い始めたら
こんなことを考えてることが剛くんを傷つけてしまうんだわ

ということに気がついた。

「これからも共に気張らずお気楽で。
何かあったとき、、それが大変なときでも
俺、お気楽大好きだよな。」

剛くんのこの言葉を忘れてた。

『共に気張らずお気楽で』

これからも3人での活動は続きます。
そのことでヤキモキすることも多々あると思う。
そんなときに、この言葉を噛み締めて、
剛くんに、こんな素晴らしい同志がいることを誇りに思い、彼らのますますの飛躍を願いながら応援していこう。

そして、誰よりも愛しく思ってる人がいつも笑顔でいてくれたら
心の底から笑っててくれたら
それだけで私の人生もキラキラ輝いてくる。

“無理なく休みながら攻める。“


gqjapan.jp





この気持ちは今も変わってないはず。
だから、私もでんと構えて
待ってればいい。

唯一無二の存在が草彅剛なんだから
それだけでいいじゃない。
余計なエネルギーを使うことはないわ。