yumipon0524’s diary

草彅剛さんが大好きです。剛くんメインのひとり言日記です。

繋がる想い

私今気持ちが揺らいでる。
剛だけに向いていた私の心に違う人がはいりこんできた。
その人は高橋大輔

もともと大ちゃんが好きだった。
ずっと応援してた。
大ちゃん大好きなお茶の間ファンだった。
ソチオリンピックの結果はただただ悔しかった。
それでもあのボロボロの体での演技はいまでもチクリと痛みを感じながらも鮮やかに思い出す。
4年前、ソチオリンピック終えたばかりの大ちゃんは、もう限界だと言った。
笑ってたけどその目には無念があふれてた。
そんな大ちゃんが引退した。
心にすき間風がふきあれた。
時おり目にする情報で
大ちゃんが頑張ってる姿をみて嬉しかった。
アイスショーもテレビで放送されるときはかならずみてた。
でも、想いはそこまで。それ以上の深みにははまらなかった。
沼落ちしたくなかった。
沼は、最高の喜びと同時にふとしたときに寂しさを覚えてしまうから。心の痛みと辛さともどかしさも。
剛沼だけで十分。
でもね、大輔ファンのblogを読んでて
私が大ちゃんに惹かれたのは必然だと思った。
一見全く違う道だけど、根底では繋がってることに気付いた。


12月3日NEWS23で、高橋尚子さんとの3回目の対談が放送された。
振り返れば、大ちゃんの節目節目に高橋尚子さんがこうして彼の心の声を引き出してくれてるんです。

1回目
2008年10月、選手生命をおびやかす大ケガをした。
当時はこの怪我から誰一人として復帰できた人はいない、それだけ大きな怪我だった。
手術は成功、それからのリハビリが過酷すぎた。
すべてを投げ出したくても、大ちゃんは、お世話になって助けてくれる方がたくさんいすぎて、辞めることもできなかった。
彼は2週間ほど姿をくらましました。

そんな弱い自分を乗り越えてのバンクーバー五輪

どん底から見事復活したのです。


初対談から4年後ソチオリンピック後、
どこか遠くを見るような目で
「いったんリセットしないとやっていけない」
と話してた。

そして、今回、現役復帰した32歳の高橋大輔

「長い道のりでしたが、やっとスケートが好きになりました」

うつむき加減で照れたように告白し、そのあと、最高の笑顔を見せてくれた。
この大ちゃんの言葉でファンのみなさんは今までのご自分たちの高橋大輔沼への道が間違ってなかったと確信したのでしょうね。

大ちゃんは
スケートが嫌いになって、スケートから離れたくて、引退の道を選ぶ。

現実から逃れたくてニューヨークへの語学留学。

キャスターや声優、ダンスショーに、歌舞伎との饗宴との活躍も
自分がやりたくてやってたわけじゃない。
夢を手探りで探し続けて
そして、大ちゃんはやっと見つけたの。
自分が自分でいるために今居る場所を。

高橋大輔はまた競技の世界に戻ってきました。
それも、大ちゃん自らが一番欲しかった、スケートが好き て気持ちとともに。



彼をずっと追い続けてきたファンの方々はジェットコースターに乗りっぱなしだと言われてる。
そんな大ちゃんの道は、じつは、ご自分の心に真っ正直な一直線の道なんだよね。


そんな感慨に浸りながら
自分の今まで書いてきた一人言日記を読んでたら、剛への愛が溢れてきた。

剛くんの最大の転機はSMAP解散
何が彼らにおこったのか、
とうしてこうなったのか、SMAPメンバー一人一人の口から語られることはなかった。
様々な葛藤があって、
剛くんも全てが嫌になって、
逃げ出したくなって、
慎吾に二人で南国へ行こうとまで言ったほど。

それでも彼は前に進んだ。
自分を見失いたくないから
ありのままの自分でいたいから
先の見えない道を歩いていこうと決めた。
攻めていこうと。

今の剛くんは生き生きしてる。
長年やってきた番組も終わり、民放での連続ドラマにも出なくなった。
活躍の場はネットの世界に移ったけど
それでも今の彼は生き生きしてる。
その笑顔に屈託がない。
縛りから解き放されて自由に大空を羽ばたいてる。
自分らしく生きてる満足感で満ち溢れてる。


大ちゃん沼に落ち、剛への想いを新たに強く感じてます。

想い人はひとりじゃなきゃ、それは本物の愛じゃない

て誰が決めたの?

その人その人に、それぞれの思いがあるら、

自分に正直に
心のままに
すべてを受け入れて
精一杯の愛を捧げていこう


高橋大輔さんが
バンクーバー五輪で、フィギュアスケート男子では日本人ではじめて表彰台に立ったときのフリープログラムで使用した曲は名作映画「道~ラ・ストラーダ


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その名作を剛くんが舞台で演ずる。

剛くんと私と大ちゃんがこうして繋がった。