yumipon0524’s diary

草彅剛さんが大好きです。剛くんメインのひとり言日記です。

NHKスペシャル未解決事件『赤報隊事件』を観て

幸せな家族、楽しい職場、笑顔が溢れてる日常。
その平和が突然奪われた。

その当時の映像が生々しく、私の目にとびこんでくる。実際の音声に恐怖を感じた。目を背けてはだめ。なにがそこで起こったのか、しかと焼き付けておかねば。

理不尽に向けられた散弾銃で一人の記者が殺され、ひとりの記者は重傷をおった。

「小尻くんが何をしたっていうんだ。
たまたまあのソファーに座ってただけじゃないか。
ひょっとしたら自分だったかもしれない。」

このセリフに、やるせなさが滲み出てた。なぜ?なぜ?なぜ?

ナレーションも、低めのトーンで、なかなか捜査の進展がない重々しい雰囲気が伝わる。

でも、そんな中でも、クスッと笑えるシーンを盛り込めるのが、草彅剛なんだよ。
余白があるからできること。




村田雄浩さん演じる右翼団体関係者と対峙する場面

マスコミは誌面に責任をおうべき。
立場の違いを認めず考えの異なる者を銃で撃ち殺し、それが正義だと主張したのが赤報隊です。殺された小尻記者に向けられた銃弾は自由な社会を求める私達一人一人にむけられたもの。だからああいう暴力は絶対にみとめられない。



緊張した。痺れた。気迫に圧倒された。この二人のやりとり。
お互いの会話でこの見せ場をつくりあげていく。役者と役者の魂のぶつかりあい。
当時の樋田毅さんの気持ちが草彅剛の中に宿ってた。そうとしか思えないほど、その言葉一つ一つに突き刺すような怒りをおぼえた。
目の強さに鳥肌が立つ。目で物言う役者。そこに静かな怒りを燃え上がらせながら、言葉が添えられる。完全に草彅ワールドだ。体の中から込み上げてくる感情は言葉では表せない。言葉を失う。なんなんだ、この気持ちの高ぶりは。体の芯から震えた。

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「今ネットもひどいですよ、まさに憎しみの連鎖です。」

言論の自由とはなんなのか。

ネット社会になって、いろんな考えの人がいることを身近に感じるようになった。自由に思いを語れるようになった、ようにみえて、違う意見の者には言葉が暴力となる。
憎しみが文字となって目に見えぬ相手に打撃を与える。


記者もそう。
時として、ペンは人を殺す。
使い方によっては人を無惨に傷つけるんだよ。
根底にある優しさを忘れた、心ない人の書いた言葉は、読み手の一番大事なものを崩壊させてしまう、それくらい大きな武器になる。
それが狙いであるならば、それは完全に計画的殺人ではないか。


赤報隊は今の時代にもいろんな姿で存在して嘲笑ってるんだよ。


“僕が取材をやめたら犯人に負けたことになる。”

と、歳を重ねて、退職してもなお犯人を追い続け、事件の解明にささげてる樋田毅さん。彼をそこまでの気持ちにさせるものは、なんなのか。


『このまま、闇に消えるのは卑怯じゃないか。
なぜ事件を起こしたのか、正々堂々と我々の前で語ってほしい
誰がなんの目的で事件をおこしたのか。』

この思いがご自身のなかで解決されないかぎり、いまだ姿がみえてこない相手を追い続けるのだろう。


草彅さんの歩き方、立ち姿、私が知ってる草彅剛さんではなかった。

それは、そう、朝日新聞特命取材班樋田毅さんだった。

いろんな柵、思惑に翻弄されながらも、自分なりの高いプライドと強い意地があるから、大切な仲間だから、大きな闇に立ち向かえる。

この役はそんな今の草彅剛だから演じられた。


どんな形であれ、暴力は絶対にいけない。自由にモノが言える社会とはなんなのか。

むずかしい問題ではあるけれど、よくよく見渡せば私の身近にいくつも転がってた。
今に通じる大きな課題です。


つかさん観てくださいましたか?
あなたが目覚めさせた、この天才は、また新しい魔物を飼いはじめたようですよ。
感情を爆発させるエネルギーもすごいけれど、つかさんも、怒ったときがまた怖いとおっしゃってましたものね。抑圧された怒り。存在自体の怒り。そんな、怒りであったり、憤りであったり、哀しみ辛さ空しさを今では、言葉なき声で訴えかけてくるんです。目で語るんですよ。つかさんが、優しい目をしてても心底笑っていないと言った目ですよ。

役者として、どこまで伸びていくんでしょうね。