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yumipon0524’s diary

草彅剛さんが大好きです。剛くんメインのひとり言日記です。

繋がった縁

ぷっすま、この4月でまるっと18年半になるのね。
1998年10月5日月曜日 23:25 - 23:55 30分番組として産声あげて翌年4月の改編期に火曜日にお引っ越しして30分が45分になり55分になり 23:15 - 翌0:15の60分番組として定着したのよ。
最初はどうなることかと不安だったけど、だんだんこのふたりでなきゃ出せない空気感に身を委ねる心地よさにどっぷりはまってここまで来てしまいました。ナギスケに負けず劣らず強い個性の江頭2:50の存在も忘れちゃダメよね。エガチャンのぷっすまデビューは今から17年前かな、ユースケさんとレギュラーを賭けて対戦したんだっけ。
「こいつ嫌いなんだよ、九州から出てきてテンションだけで生き残る!かぶってるんだよぉ」って言いながら見事に勝ってつかの間の「ナギガシラ」が誕生したのよね。数年後
ユースケさんがインフルエンザにかかってお休みしたとき、ナギガシラ復活。でも、うまくいかなくて
「俺、間違ってるでしょ? 誰か言ってくれよ! ホント、俺分からなくなってるんだよ!」
「今日、俺、雰囲気悪くして……ごめんなさい」
と、珍しく弱気だった記憶。そんなエガチャンが今となっては懐かしいよ。

エガチャンがいくら暴走してもいつだって体当たりでそれを受け止めてるし、爆笑してる剛くん。世間でもっとも嫌われてる芸人の一人だった江頭2:50なのに、そんな色めがねで彼を見たことないよね。目の前にいる江頭2:50が剛くんのつぼに填まる最高の芸人さん。彼の本来の姿。はだかに黒タイツで、ドーンとつき出す下品な芸の裏にある、生真面目で手を抜かない熱心な姿、自分の仕事に誇りを持ってる姿を知ってるんだもんね。いつのまにか仲間になっちゃってた。だからエガチャンもいつだって草彅と真っ向からむきあって真剣勝負よ。おもしろい番組を共に作ってきたのです。

生放送もあったし、スペシャルも何回もあった。慎吾との対決で負けちゃって
「お前は一生ツヨポン!」と言われてしまったり。体をゆるせる、キスをしても大丈夫と楽屋でふたりなにをしてるんだか、問題発言もあったり。

放送○○年に突入しても○○回達成しても特にお祝いするでもなく、普段着のままのぷっすま。だいいち、ナギスケがそのことを知らないんだもん、特別な日でも着飾ることなくいつものようにまったり時にグダグダで終わっちゃう。なのに罰ゲームは過酷なものが多いんだよ。電気にビビるナギスケが大好物なの、私。

そういえば、小芝居で始り、ショートコントで番組を締めてたっけ。手をふれば終わるのも大好きだった。

ギリギリマスターも最高。エガチャンが数々の伝説を築いたのもこのコーナーだし。
『普通免許一発合格への道』これだけでもDVDにしてくれないものか。

収録も早朝からてっぺん越えてたんだよね。
土田晃之さんの「午前5時に丸太を切る仕事をしたことがある」という話も伝説だわ。

などなどあげてたら終わりが見えてこない。。ぷっすまは火曜日23:15 - 翌0:15が永遠のホームなのが当たり前でそれ以上のことなんか考えたことなかった。ゴールデン進出か!?の噂出たときもあったけど、私はこのままでいいと願ってた。
なのに、いきなり番組改編で金曜の深夜0:50 - 1:20しかも30分に短縮されて、尚且つ、全国放送じゃなくなった。放送されない地域も出てきた…………
晴天の霹靂とはこういうことをいうんだね。全盛期ほどではないけど、視聴率も11%前後で安定してたのに。ど深夜に追いやられた理由がわからなかった。
ネオバラ枠を支えてきた老舗番組にこんな仕打ちはないでしょ。
でもね、みんな強かったの。泣いてばかり文句ばかり言ってても始まらない、立ち上がらなきゃ!ぷっすまは私たちの手で守る!
署名活動が全国で始まった。この時だよ、視聴者の声が番組を動かすのを実感したのは。放送されない地域も曜日や時間こそまちまちだけど、関東地域より数週間遅れのスタートではあるけど、オンエアされるようになった。みんなの心がひとつのことに向かって成し遂げることの感動をぷっすまが教えてくれた。一人一人の力なんて微々たるものだけど、それが集まった時のパワーはどんな壁をも崩すんだよ。

今じゃすっかり金曜の深夜に馴染んで、相変わらずまったり、のんびり、お気楽に、エロスだけは濃くなって(笑) ゲストのかたと一緒に楽しい時間過ごしてます。
でもね、30分は短いよ。あっという間に終わっちゃう。図書館が枠移動して生放送になる。だから、古巣に戻れるかも~という望みはあっけなく消えてしまったけど、まだまだ諦めてはいないよ。だけど、肝心のナギスケがね、、特にユースケさん、ロケの時間帯も遅くなって大満足してるように見えるし、剛くんはいつだってポジティブだから今を全力で楽しんでるんだろうし。
私の火曜日に戻りたいって思いはナギスケにとっては迷惑至極なのかも、、とも思い始めて。
そう、彼らには彼らとぷっすまを愛する番組スタッフの方々がいる。彼らのことを身近で見続けてきて、二人の笑顔を守ってきてくれたスタッフさんにお任せしておけばいいんだよね。
どうにもならない裏事情もあるだろう。その柵のなかで出来うる一番心地よい居場所が今ならばそれでよしとしなきゃ。

もうひとり、ぷっすまといえば大熊さんです。いつもそっとふたりを支えてくださってありがとうございます。
とんでもない悪戯も許してくださるし、無茶ぶりにも付き合ってくれる。ぷっすまバンド結成の際にはフルート担当で宜しくお願いします。


因みに、あまり知られてないだろうけど、剛くんの初のMC番組はぷっすまではないのです。当時23歳、鶴瓶・草彅の夢中宣言「がんばります。」で初めて司会にチャレンジしたの。テレビ朝日ゴールデンタイムのバラエティ番組、自分の大きな目標に向かって一生懸命頑張ってる人の姿、姿勢を伝える番組でした。
でも、あまりの剛くんの頼りなさが原因なのか、お茶の間から支持されず、たったの7回で終了してしまうという。。
最後の収録のあと、鶴瓶師匠の楽屋に行って、泣いたんだよね。終わる寂しさというよりは、悔しさと情けなさと申し訳ない気持ちからの涙かな。
それが1998年の3月のこと。
その年の10月からぷっすまが始まるんだから不思議。同じく頼りない司会なのに今もまだたくさんの支持をうけてがんばってるんだもん。ユースケさとの縁を感じてしまう。出逢うべくして出逢ったふたり。

草彅剛の隣は笑福亭鶴瓶ではなかった。ユースケ・サンタマリアだったってこと。
言い換えれば、笑福亭鶴瓶の隣は草彅剛ではなく中居正広だということ。
落ちつくべき場所に神様のちょっとしたいたずらで少しだけ遠回りしただけの事。
これでよいのだ。